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親の介護 と 兄弟ケンカ 『 遺産分割がもめる理由 』を名古屋相続サロンの現役司法書士が解説。

『 親の介護 』  が必要になると?

いよいよ超高齢化社会がはじまり、団塊の世代・親の世代が亡くなり相続が起きると、もう1人の親がいる限りは遺産分割がもめることは少ないですが、親が2人とも亡くなった相続は、子供同士(兄弟姉妹間で)ケンカが起こり、遺産分割問題が生じるケースが増えています。

なぜそのようなことが起きるのでしょう?

名古屋相続あんしんサロンの現役司法書士が、親の介護をとおして起こる子供同士での相続が、兄弟喧嘩となり遺産分割がもめる理由について、余すところなく解説致します。是非この機会に、あなたの親の相続も見直してみてはいかがでしょう☝

なお、この記事では、司法書士である私が仕事の上で実体験したことだけでなく、私自身の親の介護と兄弟姉妹との距離感・関係性などについてもリアルに最後にふれていますので、親の相続や兄弟姉妹間でのケンカやもめごとにお悩みの方は是非最後までご覧下さい☝

目次

親の介護で何が起きている?

親が元気なうちは、親主導で実家に集まってきた兄弟姉妹とその家族ですが、親も相応の年齢に差しかかり、大がかりに子供達家族を呼ぶこともできなくなり、時間と共にさらに親は気力体力とも衰えていく段階があります。

じわりじわりと親が年老いていくケースから、ふとしたきっかけで(階段や玄関で転ぶなどして体をいためるなどで)状況が急変し介護が必要になるケースとわかれますが、統一していえるのが

それまでの親を中心としてバランスが取れていた関係性・距離感が一気に変わり、それまで何十年かけて保たれてきた兄弟間の一定の距離感が一気に近くなることです。

それでは、どうして遺産分割がもめるのか、親の介護が必要になったタイミングで「親の立場」「介護主体者である子供の立場」「介護主体者ではない子供の立場」がそれぞれどんな傾向があるのか、それぞれの立場の意識・認識の違いを確認してみましょう。

 親の立場

例えば、多いケースとして、夫の介護が必要となり、その妻は年齢相応には元気なケースを考えてみましょう。

半世紀程度を一緒に過ごしてきたご夫婦。夫の介護が必要になると、妻は一所懸命その介護に勤しみ、少しでも環境を整え、少しでも長生きできるように、力の限り、介護に没頭します。

また、夫を一番理解している妻は、「きっと夫はこうしてほしいはずだ」「これはいやがるはずだ」というように、共に生活をしてきた立場として、夫のニーズに少しでも近づけたいと、自分が高齢となりバリバリできないので、協力してくれる子供に懇願していく傾向があります。

年齢相応に元気な妻は、長年連れ添った夫が終焉を迎えようとしているステージを、何とかして夫にとって良いものにしてあげたいと最善を尽くすのです。(それまでの夫婦仲によっては、そうではないケースも当然ありますが)

介護主体者である子供の立場

日頃からどの家庭も忙しい今日、なんとなく親の元気が亡くなり、そろそろ介護が必要な段階になってくるなぁと感じながら、親の様子を日頃から気にして過ごしてきたところ、いよいよ介護の段階に突入すします。

介護主体者となってくれる側の子供の傾向としては

(1)赤ちゃんの育児や泥臭い日常のお世話に免疫のある方、家庭生活の生活感を理解できており、やさしく気持ちに寄り添うことができる傾向(女性に多い傾向)

(2)常日頃から誰しもそれぞれの立場で忙しいいことは当然として、それでも何とか時間を無理して作ることが可能な環境下にいる傾向の方(女性に多い傾向)逆にいえば、核家族での稼ぎ頭(男の子供に多い)が、親の介護に不定期に時間を取られる環境下に引き込まれると、すぐにその核家族は弱り、ともすれば破綻してしまう構図があるため、家族のライフラインを請け負っている役割の方は、親の介護ができないという形が増大しているのです。

また、介護主体者である子供の介護負担は相当なものがあります。

(1)目の前の(ある意味わがままな)親のニーズにこたえるための多大な労力(日常的かつ不定期に発生するため、想像以上に大変です)

(2)ケアマネージャーなどの介護サポート専門家との打合せや各種調整(介護のステージごとに状況が変わっていくので、中長期的に大変な管理労力が必要です)

(3)緊急時(病院)や介護施設への移転手続きなど、重度の介護段階となると、何かと不定期に発生し、介護主体者自身の生活もアタフタ感であふれてしまい、その介護主体者の家庭にまで影響がでてしまうことがあります。

(4)お見舞いに駆けつけてくれる親族への対応も労力を当然要します。

(5)介護主体者ではない子供(介護主体者の兄弟姉妹)への定期報告や緊急時の声かけなどは、気を使い、とても神経をする減らしながらの作業になってしまうことが多いのです。

親の介護の状況に即して、他にもいろいろな負担が不定期に発生しますが、主だったところだけでも、介護主体者である子供の負担は、凄まじいほどの労力を取られることをご理解いただけましたでしょうか☝

介護主体者でない子供の立場

今日、長子・長男ではあるけれど、親の介護の主体者になれない方が激増しています。

ただ単に、親のすねをかじるだけがじって(例えば、家を立ててもらった、多額の住宅資金を出してもらった、孫へ多額の贈与や教育資金の贈与を受けたなど)してもらったにも関わらず、親の介護段階になると「逃げてしまう」という子供は論外で、そもそも人として×ですから、今回のそのような「人でなし」のお話ではありません。

今日の介護主体者ではない子供の事情は、結論は

やる気があっても、やる時間がない・経済的ゆとりがない。やりたくてもやれない。

というケースがほとんどを占めています。(もちろん、そもそも親と確執がある、もともと連絡をとっていない、などのケースはそもそも子供が介護に積極的に関わることは少数です)

今日の社会構図は、昭和の頃のような大家族や親族関係がとても稀有となり、子供のいる家族は、核家族単位で、日本全国(あるいは世界中の)いろいろな場所で仕事やお金を得て暮らすスタイルが主流を占めるようになり、むしろ、親と同居や、親の同敷地内で暮らす家族が非常に少なくなりました。

また、親同居型家族は、何かと問題が生じていることが、昭和・平成の時代の社会ニュースを通して証明・実証されてきた経緯もあるため、核家族単位で、経済的にも思想的にも親や親族から独立して、核家族単位主導で、夫婦の技量をベースに、家庭を切り盛りしていく形が主流な今日になったといえるのです。

そんな社会環境の中で、親の介護主体者ではない子供の心境は、

やりたくてもやる時間がない、、、

やる気はある。時間的経済的ゆとりがなく自分の家庭の切り盛りだけで精いっぱ!

親の面倒を不定期に見る時間があれば、我が家のことにどれだけでも労力を費やしたい!

というように、そもそもゆとりがない中で、たまに顔を出す親のお見舞いのときでさえも「忙しいのに、時間をつくってきたんだ」というくらいのゆとりなき心境であることがほとんででしょう。

核家族の(それを失うと家族が転んでしまう)ライフラインの責任者は、我が家の家庭を転覆させてまで親の介護が出来る人はいないという実情があるのです。

介護主体者でない子供側の、介護ができない事情について、少しはご理解いただけましたでしょうか。

一般的に起こる不和・ケンカ

上記のとおり、親の立場、介護主体者である子供の立場、介護主体者でない子供の立場には、大きなお温度差があることが、おわかりいただけたのではないでしょうか。

それでは、そのような違う立場の当事者同士が集まり、悪くしようと悪意があるわけではないのに、コミュニケーションを図ろうとすると、ケンカになってしまう、、、どうしてなのでしょう。

親の介護で兄弟姉妹が集まるとケンカになってしまう、相続が起きると遺産分割がもめる理由を、名古屋相続あんしんサロンが、さらに糸解いてまいります。

ポイント1

介護主体者である子供は暇であるはずがない!

そもそも今日の競争会社では、どんな大人も、暇であるはずがありません。

それは、介護主体者となる子供にも当然いえることです。

名古屋相続あんしんサロンへご相談にお見えになる方の一部には

『 介護主体者の○○は、普段は専業主婦なので、時間があるから出来るし、そもそもそんなに大した介護をしていない、、、一方自分は仕事をしており、家庭もあるし、子供もまだ小さいから出来るはずがない、、、」という方がいらっしゃいます。

当事者関係は上記以外にもさまざまですが、介護の主体者でない側の方が、介護の主体者へ、NOリスペクトな感情を持っている傾向の方がいます。

みなさんは、このような方をどのようにおもわれますか?

 

介護を日常的にやっていない方が、ある意味自分の経験則とイメージだけで、介護主体者の負担レベルをわかった気になり、「大したことをしていない」というニュアンスの表現をするのは、まさに、この方が、介護の大変さ、泥臭い日常に関わったことがないことを証明しているのです。

 

兄弟姉妹間に、それまでにも色々なことがあったことともいますが、その兄弟姉妹間の長きに渡る感情論と、介護をしてくれている事実への感謝の気持ちとを混同してはいけません。

 

介護主体者にも生活や家族があり、親の介護以外に労力を費やしたい本音は当然あるものです。それでもなお、自分を犠牲にし、親を最優先し、後悔のないよう親のために最善を尽くしてくれているのです。

それは、あなたの分も代わってやってくれていると感謝しなければならないと思いませんか?

そのリスペクトがなければ、兄弟姉妹にケンカが起こり、相続の遺産分割ももめることになるのです。

ポイント2

介護主体者でない子供も暇なはずない!

それでは、介護主体者ではない子供側が、介護もせずに、好き放題生活していると思いますか?

答えはNOです。

もともといい加減で、それまでにも実家のすねかじりばかりで、親に心配をかけてきた子供については論外ですので除外させていただきますが

このでいう介護主体者ではない子供とは、日常的に、本人の築いてきた家庭や子供のため、家族の生活保障(生活費)のために勤しんできた方と定義しておきます。(グータラ習慣の方は除外します)

特に、核家族の中での経済活動主体者(お金を家族のために稼ぐ役割)は、仕事を休んだり、親の介護で迷惑をかけると、シンプルに、組織や顧客からの評価が下がり、中長期的には得られる財産が減少する、なくなってしまうリスクと常に戦っています。(まだまだ日本の社会構造が、介護による自己都合を許容してくれるところまでは全く来ていません)

そんな中で、不定期に起こる親の介護の課題に、日常的に足を踏み入れた途端に、その家庭は経済的に崩壊してしまうリスクを抱えているのです。

自分の家庭を転覆させてまで、親の介護ができる人がいるでしょうか?

 

いませんよね。

普段は人間は見栄があるので、親兄弟といえど、自分は生活出来ている、旅行に行けば、お土産を購入し、いい生活が出来ていると、幸せでゆとりある生活をアピールしがちですが、そのような普段のイメージが先行した結果、介護主体者から見ると、

「あいつは、普段からゆとりがあるはずだし、介護できるはずなのに、やらない、、、」なんて思われるリスクがあるのです。

普段の生活で見栄を張ると、兄弟姉妹といえど、誤解されやすく、ゆとりがあると思われがちになりますので、見栄など張らず、身内間では本当の自分や家庭の状況を、日頃から情報共有しておいたほうが、他の兄弟もいざと言うときは、誤解することなく、介護が出来ない事情を察してくれるはずです。

ポイント3

介護の現場に集まると、どんなことが起きるのか?

上記のように、介護主体者と介護主体者ではない側に、お互いのリスペクトが欠けていると、介護の現場で接点をとるときには、必ずお互いの苦労アピール合戦が繰り広げられる結果となります。

介護主体者側は、初めは冷静に、これまでの介護の経緯の報告や、これからのことなどを話そうとしますが、勝手にいろいろ介護の方向を独断で決めていくこともいけないと感じ、あえて相手に気を使って、介護主体者ではない側の兄弟姉妹へ相談したり、意見を求めたりします。

また、介護施設や病院で集まるタイミングなども、介護主体者側からすれば、十分に相手の都合も考えて、最適なタイミングで声をかけるようにはしていることが多いのですが

一方、介護主体者ではない側は、日頃からゆとりがない中で、介護の現場に足を運んでいるので、忙しいモードが消えず、意見を求められても、冷静沈着かつ適切に答えることができるはずもなく

「忙しいので、まかせる!」というようなニュアンスで雑な回答をしてしまうことがあります。

そうなると、介護主体者側もだまってはいられません。

あとはご想像の通り、ああいえばこういう合戦が繰り広げられてしまうのです。

介護主体者が見ているのは、親の心・気持ちによりそって、少しでも親が幸せな最期を遂げて欲しいという気持ちでです。そのモードで他の介護主体者ではない兄弟姉妹へアプローチを図るので、介護に距離を置きがちな受身の他の兄弟姉妹からすると、重たく感じ、押しつけがましくも感じてしまう現象が起きるのです。

その場において、介護主体者は

「何でわかってくれないんだ?老いた親の最後なんだ?もっと大切に対応してあげて!こっちがどれだけ大変な思いをして介護してると思ってんの?!」と主張します。

一方、介護主体者ではない側は

「そこまで頼んでない!介護のプロに任せるなりお金を使って完全介護施設にずぐ預ければいい!」と言い返します。

違う立場同士、もうケンカは止まることを知りません。

 

ちょっとした相手への配慮ない一言から、それまでのすべての不満を吐きつくすまで、お互いにケンカが続いてしまうのです。

 

ではどうしたら、親の介護の現場がケンカにならない、親の相続が起きたときの遺産分割がもめることをなくせるのでしょう?

さらに、名古屋相続あんしんサロンとご一緒に、親の介護と兄弟ケンカで遺産分割がもめる理由を深掘りしていきましょう。

親の相続で何が起きるのか?

上記のように、介護主体者である子供と、介護主体者ではない子供の間に、リスペクトや相手を思いやる気持ちが抜けたまま、いよいよ親の相続が起こると、すさまじい感情論が飛び交ってしまうリスクがあり、注意が必要です。

名古屋相続あんしんサロンが、親の介護をとおした兄弟姉妹間のケンカと、その後に相続が生じたときに起こることや、遺産分割がもめる理由を、わかりやすく解説していますので、将来の相続・遺産分割がもめることを防止したい方や、今現状でもリスクを抱えている方は、是非最後までご覧いただくことをおすすめいたします。

感情の嵐が吹き荒れる(兄弟姉妹ケンカ)

上記のように、介護主体者と介護主体者ではない側に、お互いのリスペクトが欠けた状態で、コミュニケーションも不足しがちで年月が経過し、親の相続が生じたときは

それまでのお互いに対する不満が、親のお通夜、告別式などの葬儀のときに始まり、49日や1回忌にかけて、何らかのきっかけで爆発し、感情の嵐が吹く荒れてしまうことがあります。

 

介護主体者である子供は

「自分は親のために出来ることはやってあげられたと思うので後悔はない。本当に大変で壮絶な介護の現場だった。財産が欲しいわけでもないし、ケンカしたいわけでもない。ただ、親の最期を最善なものにしてあげたかっただけ。」という感情になります。

 

一方、介護主体者ではない側の子供は

「法要も親族行事も、普段から忙しくて勘弁してほしい、、、介護主体者も、大変だったのは認めるけれど、そこまで最適にやれていたとは思えない。相続手続きもあるから、早く手続きもやったほうが、、ところで財産はどれくらいあるのだろう、、、?」なんて具合の方いませんか?

 

お互い、上記のような距離感で相続に至っているとすれば、相続手続きである遺産分割がどのようになるかは、想像に難くないところでしょう。

 

介護主体者ではない子供側が、悪い意味で気を効かせて

「相続手続きは進めなくていいのか?財産はどれくらいなのか?」

と口を開こうものなら、介護主体者は黙ってはいられませによね。

 

こんな無神経な介護主体者ではない側の子供のような方、あなたの周りにいらっしゃいませんか?

まずは、それまでの兄弟姉妹関係の不和はさておき、あくまで親の介護という、それはすさまじく大変な役割をやってくれた兄弟に対して、(やり方どうこうに不満があろうと)結果的に主体者としてやれなかった方は、感謝の念を込めて、お礼の言葉をかけてあげなければなりません。

「本当にありがとう。自分が出来なかった分もやってくれて、本当に感謝している。親もお陰様で幸せな最期を遂げられたと思う。本当にありがとね。」

と伝えなければならないのではないでしょか。

 

では、兄弟姉妹の関係性が悪いまま、相続の手続きをしなければならないとき、どんなことが更に起きてしまうのでしょう。

 

名古屋相続あんしんサロンとご一緒に、兄弟ケンカと遺産分割がもめる理由について、最終の確認をすすめていきましょう。

相続手続きの煩雑さと「お金」がからむ

いよいよ相続手続きを進めなければならない局面になると、相続人間(兄弟姉妹で)どんなことが起きるのでしょう?

 

介護主体者であった子供は

長きに渡る介護でヘトヘト、さらに親の死亡にともない、葬儀等の法要関係で、葬儀業者や親族とのやりとりなどでもうヘトヘトも限界!というところで最終的に必要となる、わかりにくい、不慣れな相続手続きもしなければなりません。

当然ですが、平均的には、そのような状況で過ごしてきた介護主体者であった側の子供が、代表相続人として相続手続きのための財産目録や手続の案内を、丁寧にわかりやすく、他の相続人へ準備・案内していける人がいるでしょうか?

答えは「いません。」

ヘトヘトで疲弊してきた代表相続人は、そこまで丁寧に他の相続人へ案内することは難しいのです。

 

相続手続きは、一般の方からすると、馴染みがなく、不慣れなことも多いため、丁寧に財産目録や財産に関する資料を整備したり、他の相続人へ「わかりやすく」案内していくことは、そんなに簡単なことではないのです。

一方、

介護主体者ではなかった子供側は

葬儀もおわったから、そろそろ代表相続人から、どんな財産がどれくらいあるのか、案内がないとおかしい時期だ、、、案内はあったけれど、雑でよくわからない、、、と代表相続人に対して疑心暗鬼になっていく傾向があります。

代表相続人は、何か隠そうとしているわけではなく、そこまで丁寧に案内することもなかなかできないので、案内を受ける側は、もう少し冷静に、大変な中、案内してくれてありがとう。という心持ちで、時期的にもあせらせることなく、代表相続人と向き合わなければならないのではないでしょうか?

なお、代表相続人が、他の相続人に悪い感情を強く抱いており、あるいは、かなり財産に固執しており、相続財産の開示も、積極的に不明確にして隠そうとしているケースも一部ありますので、あなたのケースは、どちらなのか、正確に見極めた上で、代表相続人との接点をとっていきましょう。

 

親の相続で子供がケンカする、遺産分割がもめる理由

 

相続手続きがそもそもわかりにくくて、不慣れなこと

介護段階で、お互いに不信感を抱いていると、葬儀の後の相続手続きのときに、介護主体者側は、他の相続人に対する相続手続きの案内が少々雑になりがちになる傾向があること。

介護主体者ではない側の子供は、それに対して疑心暗鬼になりやすく、代表相続人への催促や、お金に関する固執的発言がエスカレートしてしまう傾向があるので、お互いにかけ違いがおこりやすいこと

介護主体者であった代表相続人側は、他の相続人は親の介護の大変なときに何もしてくれなかった!と思いやすい傾向があります。それは介護段階での他の兄弟姉妹の言動の傾向にも原因があるのですが、今一度、介護段階でのやりとりについて、こちらからの声かけや報告のタイミング、その他アプローチに本当に問題がなかったかどうか、他の相続人が当時どのような状況の中で、介護に関われなかったのか、冷静に見直してみましょう。(子供が小さくて手いっぱい。仕事のストレスやリストラリスク。などどうしても介護に関われない実情があるケースも少なくなりません。)

介護段階からコミュニケーションが取れていない同士のときは、介護主体者ではない側の子供は、介護主体者が、親の財産をちょうまかしてきたのではないかと疑心暗鬼な状態で相続へ突入するため、代表相続人へ執拗な財産開示やスピーディーな案内の要求をしがちになり、お互いのギャップができやすいこと

子供同士の親の相続であるにもかかわらず、相続人当事者の配偶者が(相続人ではないが)口を出すことがあります。そのようなことが起こる夫婦は、そもそも相続とは関係のないところで、その夫婦間の間に問題があるので、ここぞとばかりに、配偶者が出しゃばることがあります。

片方の親がまだ健在であるときは、その健在な親の近くで介護することとなる介護主体者である子供とその親が、非常に距離が近くなり、信頼関係が構築されるケースが多いため、その状況に対して、介護ができない、したくても出来る状況ではない介護主体者ではない子供側に「妬み」が生じることがあること。いわゆる「親の愛情の取り合い」を兄弟姉妹間でバトルする構図です。

 

などの理由から、相続手続きの段階では財産や権利もからむ分、さらに関係性を悪くしてしまうリスクをはらんでいるのです。

 

兄弟姉妹間の相続のもめごと、遺産分割がもめている相続は、名古屋相続あんしんサロンの遺産分割の初回は安心の無料相談サポーがありますので是非ご利用下さい。

司法書士自身のリアル経験談

サロン代表司法書士の服部が、自分の身内の経験をリアルに書かせていただきます。

今日の親の介護を通して最終的に起こる相続は、兄弟姉妹間でケンカになりやすい社会的背景が潜んでいて、積極的に気をつけて行動しなければ、ふとしたかけ違いで大ケンカになるリスクをはらんでいます。

相続が起こり、現在、遺産分割でもめている方、これから遺産分割を進める方、将来親の介護や相続を控えている方の皆様にとって少しでもお役にたてるようでしたら幸いです。

名古屋相続あんしんサロンとご一緒に、親の介護と兄弟姉妹のケンカ・もめごと、相続の遺産分割がもめる理由をこの機会にご整理いただくことで、だれにとっても最善な相続のノウハウを手に入れて下さい。

 

親の介護が必要になったとき

私の兄弟関係からお話しいたしますと、田舎の親が元気なとは、毎年お盆や正月は兄弟の家族が実家に集まり、良い距離感で付き合ってきた、ごく平均的なファミリーです。今どきのファミリーで、私を含め全員兄弟は田舎の実家を出てから何十年と久しく、実家に同居するなど形式をとる子供は1人もいません。

特別な悪いことやケンカも過去に特にはありません。

ただし、兄弟の家族それぞれが、育児のステージにおいて四苦八苦あることや、そのステージごとの親との付き合い方など、兄弟同士で何らかの感情は抱いていたと感じますし、一般的にもそのようなレベルの感情は兄弟間にはあるものではないでしょうか。

そしていよいよ、親の介護が必要となる段階に突入していきましたが、まず感じたのは、親や兄弟とどのような距離感をとるのがいいのか「戸惑い」がありました。

それは、私はいわゆる長男でしたので、気持ちの中では、実家に対する意識だけは何だかんだ強くあり、親の介護ともなると「無視できない」「対応しなければ」という気持ちが起こる半面、リアルに積み上げて来た生活環境は、田舎の実家から離れ、すぐ顔を出せる距離でもなく、日常の自分の家庭を守ること、子供もまだまだ学生のため関わる必要性が高いこと、生活保障(生活費というライフライン)を賄うことが最優先でしたので、どこまで関わるべきか悩みは尽きませんでした。

それまで何十年も一定の距離を保ちながら過ごしてきた親や兄弟との距離感が、親の介護や緊急なときが増えることで、急激に近くなり、戸惑ったのです。

ストレスは相当にたたるものでした。

 

また、親に何かあるごとに、他の兄弟が対応してくる頻度が増え、リーダーシップをとってくれるようになってきたので、とても助かったことを記憶しています。

兄弟には感謝しかありません。

 

介護が重度となり緊急搬送も必要に

いよいよ親の体も相当に弱くなり、本格的な介護が必要な段階になってきました。

あるとき、親が自宅で倒れ、高熱をだし、緊急搬送されることとなりました。

その際、兄弟と田舎のエリアで暮らしている従兄が、この事態に対応してくれて、とても助かったことを記憶しています。年老いた親に何かあったとき、すぐそばで暮していないと、対応できない、無力なんだなぁと強く感じるとともに、近くにいてくれる方々に本当に感謝しかない出来事でした。

また、入院の手配や、荷物備品の準備・持ち込み、介護サービスとの調整、病院での先生方とのコミュニケーション、親の精神的ケア、日常の見舞い等、退院関連、介護サービス関連との打合せ・調整など、すさまじい労力が短期間で不定期に必要になるのです。

 

このとき主導で対処してくれた兄弟、親族やそのご家族の方には、本当に感謝しかありません。

私は「長男」ではあるものの、30代前半で司法書士業界に足を踏み入れてからというもの、田舎の実家から離れ、日常的なことはすべて自分の核家族の中だけで行ってきたため、その地道に築いてきた家庭や子育てのペースを崩すわけにはいかない、仕事を休むわけにはいかないと、実家に思いをはせるものの、具体的な介護の戦力にはなれずに今日に至っているのです。

 

親が入退院・手術を繰り返す日々

親は80歳を過ぎ、自力での歩行もままならず、運動も出来ないため、免疫力も低下し、不定期に誤嚥性肺炎肺により発熱をともなう症状の悪化が、不定期に発生するようになりました。

病院を退院できたかと思うと、自宅での療養は、再発を繰り返す結果となり、緊急搬送されては入退院を繰り返すこととなったのです。

主治医からは、「いつ何があってもおかしくありません。」と言われる段階まできている状況です。

 

前記同様ですが、この状況の介護は、入退院の手配、荷物備品の準備・持ち込み持ち出し、介護サービスとの調整、病院での先生方とのコミュニケーション、親の精神的ケア、日常の見舞いなどなど、現場の介護している人々にって、命と向き合いながら、心も体も壮絶な負担・負荷がのしかかる、とんでもなく大変な時期なのです。

 

私の介護の戦力にならない覚悟

親は80歳を過ぎ、自力での歩行も私は長男ですが、前記載のとおり、自分の家庭やペースを崩すわけにはいかないという強い意思が揺らぐことはなく、介護の戦力には当然なれませんでした。

私事ですが、私の目に入れても痛くない大切な子供にとって、一生に1度しかチャンスのない受験年と重なってしまったため(家庭の受験ステージは、そもそも家庭内部でもゆとりが最もなくなる時期で、離婚率が2番目に多い時期でもあり、過酷で少しでもバランスを崩しスキをつくれば達成できない厳しい世界です。子供が思春期・受験期の離婚リスク)このこだわってきた目標達成をゆずることが出来ませんでした。

その思いは、親や田舎の体験から学ぶことができ、受け継ぐことができた良いものを、さらに次の代につなぎ、悪いものは修正し、ご先祖様から受け継いできた素晴らしいDNAをより強固にして、自分の子供に引き継いであげたい、強く未来へさらにDNAを残していきたいという思いからでした。

親の介護や、一時的な目の前の親の安心を選択し、親の介護に時間をとられることで、ご先祖様や親から受け継ぐことができた良いもの・DNAを、次の代に適切に引き継ぐことができないことのほうが、自分には大きな損失だと感じ、冷たいかもしれませんが、覚悟を決めて我が家のペースを守りとおすことを選択したのです。

そこには、大きな覚悟がありました。

それは、この選択をすることで

「実家や兄弟から絶縁を言い渡されたとしても仕方ない」と覚悟を決めていたこと。

また、相続のときに

「親の相続財産はあてにしない。自分の力で切り開いていけばいい。」と覚悟を決めていたのです。

 

自分では到底対応できなかった壮絶な介護に対応してくれた兄弟(そして、そのご家族)には感謝しかありません。

 

 

ケンカしない・もめないように工夫したこと

親の介護が必要になり始めた頃、兄弟で集まると、ケンカになってしまうことがありました。

おそらく、それまでの何らかで募って来ていた不満や、自分の抱えているストレスをわかって欲しい気持ち、相手に伝えたいことが、顔を合わせて話をしている中で、無計画に話してしまっているため、的をえず、ふとしたきっかけで感情的になってしまい、伝えたいことは結果として伝わらず、悪い感情だけがお互いに残ってしまうような時間でした。

そこで、自宅に帰った後、自分は何が伝えたかったのかを冷静に振り返り伝えたいことをわかりやすく文章にまとめて、感情論から相手にぶつけてしまった言葉を謝罪し、兄弟に伝えるようにしました。

 

また、兄弟というのは、実家に集まると、何十年も昔に、お互い幼少期の子供だったころの感覚で、相手の土俵にズカズカと無意識に入り込んでしまう傾向があります。

兄弟姉妹といえど、それぞれ自活してからの年数の方が長いわけで、お互いの家庭や家族もおり、その風土の中で今日にいたっていますから、

あくまで「赤の他人」「第三者」という感覚から接していく方が、コミュニケーションの取り方としては正解でしょう。

 

賛否両論あると思いますが、これが名古屋相続あんしんサロンの相続司法書士服部のリアルな経験談です。いかがでしたでしょうか?

まとめ

親の介護で兄弟姉妹でケンカしない、相続の遺産分割をもめないようにするには?

 

介護ができない方は、できない理由を見栄を張らず覚悟を持ってわかりやすく相手に伝えていますか?

介護ができなかった方は、してくれた方へ心からの感謝の気持ちをしっかり伝えることができていますか?

相続が起きたとき、親の財産をあてにしていませんか?どんな遺産分割の内容でも、快く印を押すことを覚悟できていますか?

 

自活してからも親を頼り切ってきたのに(住宅や資金の大きな提供、日頃からの生活費の援助、孫への大きな教育資金の贈与、日常的家事育児の援助など)いざ介護となると関わらない、介護主体者の大変さを理解せず棚に上げて、自分の権利だけ主張している、今あることがご先祖様や親のおかげだと感謝せず「ひとでなし」の行動をしている方、いませんか?

ひとでなしとは「人」ではない と書きます。

 

親の介護をとおして、身内や兄弟仲が悪くなることは、お子さん孫の代までの損失です。相続の遺産分割がもめてしまうのは理由があるのです。

 

名古屋相続あんしんサロンの司法書士の実体験もご参考にしていただき、身内の相続によって、今後の人生がストレスだらけにならないように、親の介護や相続時の遺産分割に上手に対処していけるといいですね。

相続手続きや遺産分割がもめてしまったときも、名古屋相続あんしんサロンの、初回は安心の無料相談サポートがありますので、是非ご活用下さい。

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